いったい化粧品ってどこでどうやって作るんだろう。とつぶやくぐらい無知な私でしたが、その日から化粧品の製造についての勉強を始めました。
ゼロからのスタートだったので、あらゆる本を読み漁り、勉強会に出席して知識をつけていきました。また、化粧品を作ったことがある人を探し出し、コンサルタントにも指導をお願いしました。
右も左もわかりませんでしたがとにかく必死でした。睡眠時間を削りフラフラな時もありましたが気力で乗り切っていました。
また、化粧品をつくると決めてから、生まれ故郷の玄海町の産業を調べ始めていました。
地元の植物を入れたいという想いがあったからです。
玄海町は、タイの養殖、和牛、玉ねぎ・葉タバコ・温州みかん・ハウスイチゴなどの栽培が盛んです。そしてさらに深く調べるうちに、「玄海町薬用植物栽培研究所」という所にたどりつきました。
玄海町薬用植物栽培研究所とは、玄海町に平成23年にオープンした、約1万8千m2の敷地内に薬用植物見本園(約100種)、薬木園(約50種)や薬用植物栽培温室棟、甘草栽培温室6棟等が建っている施設です。
私はこの研究所に通い始めました。そして「化粧品をつくりたい。できれば玄海町産の植物を化粧品原料として入れたい」と園長さんや園内で働いていらっしゃる農家さんに相談しました。
そして色々検討していくなか、栽培されている薬草の中に、漢方の一種である「当帰(トウキ)」の事を知りました。
当帰(トウキ)とは、山の岩地に生えるセリ科の多年草です。
この根を湯通しして乾燥したものは「当帰」と呼ばれ、冷えや貧血などの改善を目的に漢方処方において、婦人病薬の主薬や化粧品、健康食品に配合されています。
小さな白色の複散形状についている花には可憐さと凛としたたたずまいがあり、とても鮮やかな深い緑色の葉には強い生命力を感じられました。そして香りが独特です。セロリのような香りは、漢方っぽい何か体にいいような気にさせられる魅力がありました。
また有機栽培にこだわり、トウキの成長をまるで子どもの成長の様に熱心に見守る地元農家さんのトウキ栽培への情熱にも心を打たれました。
トウキを美容液に入れよう。と決めました。
知識は順調についていき、美容液に関する企画書ができあがりました。企画書を手に製造をお願いする工場を探しはじめました。
製造をお願いする工場の条件に、3つの条件を提示していました。
- 玄海町のトウキを持ち込めること
- 私が通える距離に工場があること
- 物づくりへの情熱が私と同じぐらいあること
この美容液は、玄海町のトウキが入っていなければ話になりません。
また、当時コロナ禍の影響で対面での接触は厳しくなっていましたが、何かあった時に車で行ける範囲に工場がなければ、美容液を安心して預けることができないと思いました。
そして、仕事への愛情が私と同じでなければ困ります。
なんの実績もない女一人の挑戦です。なかには、門前払いする工場だってありました。それでもめげず一人で企画書をもって、一件ずつ工場リストをあたっていきました。
やっとお願いできるところが見つかっても、相手方の言動に仕事への愛情がないと感じられることも多々ありました。その度に私は迷いました。
「やっと見つけた工場だ。妥協しよう」という想いと、
「妥協という言葉はない」という想いが交差するのです。
「目をつぶろう。また、一から工場を探さないといけない」
「いや、妥協はできない」
こんな想いでぐちゃぐちゃになりました。
私は悩む度に、玄海町の棚田の夕日を見に行っていました。
黄金にキラキラ輝く広がった田んぼは、先祖からの叡智の結晶です。トウキも玄海町の叡智の結晶なのです。
絶対に粗末にはできない。
棚田を見ていると、少しずつごちゃごちゃの頭を整理できました。
現実と理想の間でゆれにゆれ動き、最終的に妥協しない、という決断をしました。それは徐々に強い信念になっていきました。
そして、数社目に私の条件にあった工場が見つかりました。研究者Aさんとの出会いでした。Aさんは、私を快く迎えてくれて話を真剣に聞いてくれました。
そして、玄海町産のトウキを化粧品原料のエキスにする手続きをしてくれました。ようやくスタートできる気がしました。
私は工場からの帰り道、ふと季節が変わっていたことに気がつきました。季節が変わっていることに気が付かないほど、一生懸命に走り続けていました。
それからAさんが作ってくれる試作品をチェックし、修正依頼を繰り返す物づくりがはじまりました。
それは苦しみのはじまりでもありました。
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